0031たまには日本酒の話

 お酒はビール、ワイン、焼酎ならという人が多いと思いますが、私の郷里が新潟ということもあり、今回は日本酒に少し肩入れしてお話します。

 日本酒の味わいは、一般に日本酒度(糖度)と酸度で表されます。日本酒度(糖度)は甘辛度の目安で、糖分を多く含むとマイナス(-)で少ないとプラス(+)で表示されます。-6は大甘口、+6は大辛口です。酸度は酸っぱさの度合いで、高いと濃醇(コクがある、濃い味わい)、低いと淡麗(スッキリ、癖がない味わい)になります。私は、あまり辛いのは苦手です。先日の支部日帰り旅行「清水屋」で出てきた国産の鰻には、やや甘い日本酒の熱燗がとても合いました。やっぱり、和食には日本酒ですね。

 ずいぶん昔の話になりますが、「越の三梅」といわれた時期がありました。越後の越乃寒梅・雪中梅・峰乃白梅をいいます。地酒ブームの火付け役となり、幻の銘酒とも言われましたが、今やデパート、スーパーでも手に入りますので隔世の感があります。

 「越乃寒梅」は新潟の淡麗辛口を全国に広めた言わずと知れたトップブランドです。切れの良い喉越しと水のような軽い飲み口のお酒です。義父の友人が勤務していたため手に入ることがあり、妻の実家へ行く時の楽しみの一つでした。

 「雪中梅」は私の地元・新潟上越を代表するお酒です。口当たりの柔らかい、とても穏やかな味わいの濃醇甘口のお酒です。特に妙高は冬に積雪3mにも達する豪雪地帯で、除雪や農作業で疲れた身体を癒すためには、糖分がしっかり入った甘口が身体に優しく好まれます。甘いのが苦手な人にはきっと合いません。里山の井戸水を使って手作り麹にこだわり、今でも小規模ながら頚城(くびき)杜氏本領発揮の蔵元です。

 「峰乃白梅」は三梅の中では手に入れやすく、市中でもたまに見かけました。私も見つけたら買うようにしていました。

 それまで日本酒は熱燗で呑むのが普通でしたが、これらは「冷や」や「ぬる燗」で飲むのを定番にしました。

 その後、新潟の日本酒人気は、南魚沼の「八海山」や長岡の「久保田」に移っていきます。「八海山」は、魚沼産コシヒカリとともに人気を集めました。「久保田」は私の従弟が勤めていて県内最大手の蔵元が東京進出用として満を持して出したものです。これが当たって、従弟は、「ボーナスが人並みになった。」と言っていました。どちらも新潟の日本酒らしい淡麗辛口で、今でも根強い人気があります。

 以前、仕事で出向いた酒蔵の杜氏から、「米は運べるけど、水は運べない。だから、良い水が出るところにしか酒蔵はない。」と言われました。正に「銘酒あるところに名水あり」です。日本酒製造のあらゆる工程で大量の水が使われます。新潟の水の源は山々に降り積もる無限の雪です。輸送技術がいくら進歩しても、良い水なくしては良い酒造りはできません。

 また、「日本酒は原料を超えられない」とも言われます。原料とは酒米、米麹、水のことです。新潟では、自社所有の田で米作りにまでこだわり、その後の醸造からビン詰めまでを一貫して行う「日本のドメーヌ」を称した蔵元がいくつもあります。ヨーロッパのワイン造りのようです。どれも特徴を持ち結構いけます。

 最近は、料理に合わせて選ぶことも流行りで、味の濃い料理には奥深さや濃酵な味わいのものが好まれるようになっています。嗜好は時とともに変わります。淡麗辛口というだけで好まれた新潟の日本酒は、既に過去のものになりました。新型コロナで人とお酒の付き合い方も変わってしまいました。ChatGPTに代表される生成AIが企業にも提供され、人の働き方も大きく影響を受けてきます。分析、計算、提案は生成AIに行わせ、判断、責任は人が負う時代になってきます。あと数年で、未来は大きく変わります。しかし、あくまで道具としての利用にとどめたいものです。決して人が使われてはなりません。私たち社労士も頑張らなくては。生き残りをかけた蔵元の熾烈な戦いは、これからが本番です。

 ところで、最近の私のお気に入りは「根知男山」、「鶴の友」です。越後湯沢駅のぽんしゅ館では、県内蔵元の代表銘柄を、ワンコインでお猪口5杯が試飲できます。千円あればとても満たされた気分になります。これが人気を呼んで新潟駅、長岡駅にもできました。途中下車して、新潟の日本酒の奥深さを堪能してみてはいかがでしょう。旅を豊かにすること必定です。

相浦亮司(あいうら りょうじ)

事務所名 あいうら社会保険労務士事務所

所在地 〒173-0004 東京都板橋区板橋1-53-12-713

MAIL aiura553390090@ybb.ne.jp 又はryoji.aiura55339@icloud.com

TEL   03-6905-7332又は 090-7241-3456

 

主な職歴・履歴、セールスポイント

新潟県出身。大学卒業後、労働基準監督官として茨城局日立署に任官。その後、全国の監督署・労働局、厚生労働省に計37年間勤務しました。この間、事業場に対する監督・安全衛生、労災補償業務を始め、働き方改革の推進、労働災害防止計画の策定、過労死認定から監督・労災業務監察、職員研修、情報システムの構築、病院の監理運営等に従事しました。国退職後、育ててくれた労働行政への恩返しの意味を込めて、労務管理を専門とする「あいうら社会保険労務士事務所」を2021年板橋区において開業しました。業種、規模に応じて、これからの時代に合った労務管理を応援します。お声がけいただく会社様も毎年わずかずつですが増えています。お気軽にどうぞ。

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