このところ宗教法人についての話題を目にすることが多くなっていますが、宗教との関わり方について思い出すことがあります。早いもので、もう20年も前の話になってしまいました。
その当時、外資系人材サービス会社の経営戦略部門にいた私は、3人の同僚とともに語学研修の一環としてアメリカに短期留学する機会を得ました。外資系企業といっても、日ごろの営業活動で英語を使う機会は限られているため、ビジネス側で英語力を上げていくことは会社としても大きな課題となっていました。
留学先はミシガン州のサギノーという田舎町で、電車もバスも無く移動は車だけ、少し郊外に出れば長閑な田園風景が広がるようなところでした。ある日、大学のチューターが私たちを隣町のステーキハウスに案内してくれることになりました。車は、収穫後の畑が広がるなかを真っすぐに走って行きます。前にも後ろにも車はいません。すると左手のずっと先の方から一台の車が走ってくるのが見えました。こちらの車が一足早く交差点に差し掛かり、その手前で一時停止させて、左手の車が到着するのを待ちました。そして左手の車が交差点で停止したのを確認して走り出しました。普通に、急いで走りぬければ問題無さそうなところだったので、何が起きたのか見当がつきません。わざわざ自分の車を停めて他の車を待つことを不思議に思い、「何で車を停めて待っていたのか」理由を聞いてみました。チューターはこう言いました。「神様が見ている」と。日頃、あまり神様を意識することがなかった私にとって、結構インパクトのある言葉でした。個人の宗教観だけでなく、西欧文化を理解するというのは、こういうことなんだと実感しました。
後日、アメリカでは、信号のない交差点は先に一時停止した車が優先されるとか、同時だったら右側が優先されるといった交通ルールがあることを知りましたが、それがルールとして守られる背景には、こうした共通認識があるのだろうと感じました。近頃は、ダイバシティ&インクルージョンの取り組みを進める会社が増えていますが、いろいろな価値観や文化のギャップを知ることの大切さを改めて考えさせてくれます。
猪浦 信一
社会保険労務士法人エンチカ
労務コンサルティング担当 特定社会保険労務士
Mail: inoura@entica.or.jp