0025 人心収攬の術

現在進行中の大河ドラマ『どうする家康』も既に半分ほど過ぎているが、その捉えられ方は従来の家康観とは符号するのだろうか。最後まで興味深く眺めてみたいものだ。
史実に伝えられる家康の長所は実に徳川260年の基礎を作ったともいえるもので、人の本性を把握し誠をつくした人心の掌握にあると思う。

「情けは人の為ならず」というが、家康は多くの家来に慈愛を持って接した。負戦の将の面倒をよくみ、結果的には自分の先兵として活躍させている。有能とみた人材は、たとえ敵国の将兵であっても再就職させ活用した。家康は人を生かして使うということを実践したのだ。 家康はまた、部下を信じる人間操縦法も心得ていたようだ。 

《人間というものは恩知らずで、移り気で、陰険で、危険にあうと逃げ出し、そのくせ転んでもただ起きない。利益を与えれば味方するが、いざ犠牲を捧げる段になると、たちまち尻をまくって逃げ出すものだ》 これはイタリア、ルネッサンスの思想家マキャベリーの『君主論』のなかに出てくる、政治における人間関係を説いた言葉である。 この論を家康にあてはめて考えてみると、家康は、下は足軽から上は家老・側近に至るまで、実によく人を見知り、さばいている。人を見抜く鋭い眼が、結局は部下の信頼を勝ち取って、身を殺して仁をなす有能な部下を取り巻きにおくことに繋がったのである。家康には、恩を仇で返すような部下が少なかったことは、彼の人柄鑑定眼が正しかったことを裏づけている。

家康は、武術に優れているばかりでなく、家来・部下に対する言葉遺いも非常に丁寧だったと言われている。《この御家、第一に御武辺。第二に御内衆に御情。御ことばの御懇》というのは、有名な大久保彦左衛門の書いた『三河物語』の中に出てくる家康観である。家康が駿府の城にこもって大御所となってからも、家来に対しては「○○殿」ときちんと「殿」をつけて呼んでいる。家康は、言葉遺いというものがいかに人の心に深い影響を与えるかということを知っていたのである。 家康は、また、部下の忠告も素直に聞いたようだ。いわゆる部下からの諫言を好まない上司がかなりいるが
《・・・部下の注意に耳を傾ける度量がなくてはならない。上に立つ者は己の不調法には気づかないものだ。諫言を聞かぬ者はやがて国を滅し、家系も絶やす。これは歴史が証明している》と言っている。人の上に立つ者は家康の部下操縦法を範とすべきである。

かの、松下幸之助は言う、《政治や経済の形態は時代とともに進歩変遷してきた。しかし、さまざまな事象の進展も見方によっては、家康の時代の方が優れていたのではないか、と思われる一面すらある。それは、例えば企業でいえば、経営の要諦というか妙味というものの把握については、はたして進歩したかどうか、いささか疑問に思われるからである。人間の本性は家康の時代も今日も変わらない。これは自然の摂理がつくったもので、人間の力で変えられるはずがない。・・・私は、家康の人心収らんの術に、今日もなお味わっていいものが数多くあるように思う》と。 =終わり=

                            板橋支部  春日政泰

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